カジ旅 登録方法を図解で徹底解説【2024 版】注意点・やり方 ...

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その通りです。プーチン大統領は、「ウクライナをNATOに入れない」という確約をアメリカに求め、それを拒否されたことを侵攻の口実にしたのです。 欧州のNATO加盟国(青色) 冷戦期のオーストリアのように、自国の意思によってではなく、国際条約(1955年)によってNATOに入れなかった国もあります。現在NATOが掲げる門戸開放原則(「現加盟国が賛成するなら誰でも入れる」)は、1997年のNATOマドリード・サミットで採用されたもので、国際法上の主権尊重とは別次元の問題です。 これまで、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーが、2004年にはその他の東欧7カ国が加盟し、NATOは東方に拡大してきました。さらに2008年4月に開催されたNATOブカレスト・サミットでは、ウクライナとグルジア(ジョージア)を将来的にNATOに加盟させることが決議されました。その直後の第2次南オセチア戦争、2014年のクリミア併合などで、ロシア指導部のグルジアとウクライナに対する執着がバルト3国やルーマニア、ブルガリアなどとは比較にならないほど強いことが明らかになり、NATOの拡大は鈍化しました。 2018年以降、列強による超音速ミサイルの開発が本格化すると、プーチン政権のNATO拡大に対するアレルギーは一層強くなりました。万一、ウクライナがNATOに加盟し、超音速ミサイルがハルキフ(ハリコフ)に配備されれば、モスクワまで5分以内で到達すると言われます。ところが、NATO拡大の軍事的帰結の深刻度が高くなればなるほど、NATO問題はポピュリスト的選挙動員の手段にされてきたのです。 前述のブカレスト・サミットで無謀な決定が採択された背景には、同年のアメリカ大統領選挙に向けて共和党のマケイン候補が苦戦していたこと、グルジアとウクライナで現職大統領(サアカシヴィリとユシチェンコ)の人気が低迷していたことがあったのは明らかです。マケインは人気取りのために対露強硬姿勢をとり、サアカシヴィリとユシチェンコは、自国が西側の一員として認められる日が近いと国内的にアピールしたかったのです。 2019年にウクライナが憲法改正をして、NATO加盟を憲法条項にしたのは、ポロシェンコ大統領が、目前に迫る大統領選挙でのゼレンシキーの優勢を覆そうとする必死の試みでした。ゼレンシキー大統領も、支持率が下がるにつれNATO早期加盟をNATO諸国に強く要求するようになりました。このように、NATOという軍事問題が、どこの国でも選挙政治のネタにされてきたのです。 本音ではウクライナをNATOに入れる気はない欧米諸国は、なぜ、かつてのオーストリアのように「ウクライナはNATOに入れない」ことを条約化できなかったのでしょうか。そうすれば、プーチンの口実の一つは潰すことができたでしょう。これは、開戦に至るまでの間、研究の世界でも、ジャーナリズムの世界でも、多くの人が主張したことです。私は、NATO加盟国の指導者たちが自国内で「ロシアに弱腰」という批判を受けるのを恐れたか、支持率が下がってきたゼレンシキー政権を応援したかったか、いずれかだと思います。 国際ルールに挑戦するプーチン ―― 今後の国際社会への影響をどうご覧になっていますか? 今回の戦争の最大の教訓は、分離紛争(この場合はドンバス紛争)を放っておいてはならないということです。2008年の第2次南オセチア戦争、2020年の第2次カラバフ戦争、そして今回の戦争のように、分離紛争を放っておくと、その数倍の犠牲者を生む戦争が必ず起きます。現在の国際システムでは、協議離婚的な方法だけがあって、それが難しい場合に調停離婚に該当するシステムがないのですが、ここが問題です。調停離婚に該当する国際司法システムを作り、しかもゴネ得している国(期限を切って紛争を解決しようとしない国)を罰するような制度も導入すべきと思います。 現在、ロシアのウクライナ侵略に対して、ロシアを厳しく糾弾する欧米、日本と、そうでない中国、インド、中東諸国などに国際社会は分裂しており、その両グループの間で外交的なせめぎあいが展開されています。しかし、ここはせめぎあいではなく、なぜそのような違いが生まれるのか、両グループ間で腰を据えて話し合えば、今後の国際秩序についてのヒントが得られるのではないでしょうか。 *  アブハジア戦争、南オセチア戦争は、ともにグルジア(ジョージア)北部地域の分離紛争、カラバフ戦争はアゼルバイジャン内のアルメニア人自治州をめぐる紛争。   松里公孝 法学政治学研究科教授 東京大学大学院法学政治学研究科修了、法学博士。北海道大学スラブ研究センター教授などを経て、2014年より現職。著書に、『東大塾 社会人のための現代ロシア講義』(共著、2016年、東京大学出版会)、『ポスト社会主義の政治』(2021年、ちくま新書)など。   国際 ウクライナ キャンパスから読み解く ロシア このページの内容に関する問い合わせは広報室までお願いします。 お問い合わせ ソーシャルメディア 東京大学における災害時の情報発信 サイトマップ サイトポリシー プライバシーポリシー 採用情報 UTokyo Portal utelecon よくある質問 本サイトの管理・運営は広報室が行なっています。 各ページの内容に関連するお問い合わせは、当該ページに記載の問い合わせ先までお願いします。 アクセス・キャンパスマップ © The University of Tokyo 柏キャンパス 本郷キャンパス 駒場キャンパス アクセス・キャンパスマップ 閉じる 戻る アクセス・キャンパスマップ 閉じる 戻る アクセス・キャンパスマップ 閉じる 戻る アクセス・キャンパスマップ 閉じる

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